おしえて№647 投稿者 チョガタさん
  「北条時宗」を見ていて気づきました。「祝子」「祥子」と、なぜ女の人の名前には○子と付くのでしょう?
今では色々な名前がつけられていますが、天皇家には今でも伝わっています。いつごろから、どんな理由で付けられるようになったのでしょう。
のんきさん

 名前に「子」の字を使うのは古くは中国において始まりました。
 春秋末から戦国時代にかけて、中国社会は大きく変化、古い秩序は崩壊し、新しい時代にあった秩序・思想が求められ、諸侯は各国の富国強兵をはかり、有能な人材を求め、さらに実力主義の風潮が広まる中で、多くの思想家・学派が現れ、多くの書物が書かれました。これらを総称して「諸子百家」と呼びます。諸子の「子」は一家の学説を立てた人の尊称で先生の意味です。多くは男子の尊称として使用されました。孔子、孟子など有名ですね。
 その後日本にも取り入れられ、聖徳太子や小野妹子などにも使われました。但し、日本では後に女子の名前に使われるようになりました。

  さて、いつから女子の名に変化したかが問題ですが、実は行き詰ってしまいましたので、視点を変えます。その昔、女性名の「子」は「シ」と発音しました。この読みは方は江戸時代後半まで使われましたが、江戸時代末から明治時代の学者が、「成子」は、ナリコ、シゲコ、ナルコ、ヒラコ等々幾通りもの訓みがあり、個々の場合、明確に決定できないと言う理由から、×子型の女性名を音読する不都合な慣例を作ったそうです。

 そしてこの悪弊は、今日なお固執されています。貞子は、サダコ、タダコなどの訓みがあり、個々の場合、必ずしも真実の訓みを知りがたいが、テイシと音読されなかったことだけは確かです。「徳子」をトクコと湯桶式に読むのは、明治時代後期からの誤謬のようです。
そくらちゃん

  次のnetにご質問の回答が載っておりましたので、まとめます。
 URL: ことばをめぐる ひとりごと  http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ktb015.htm

 「子名前」は「小野妹子」など男子でも使われていましたが、大名兒(おおなこ)とか安見兒(やすみこ)などのように兒=児で、読みは「こ」が使われていた例があるようです。  ここで言う「子」という意味は男子では、「孔子」などに代表される使い方で「思想をもった一人前の身分のある人」という意味に解釈するのが一番適切でしょう。一方、女性に使われる「子」は当然、別の意味を付しています。これはもう、一般的に言われる「可愛らしきもの」という意味から使われている、という判断で間違いないでしょう。 (この辺は、角川「新字源」という辞典を参照しています

 そして、源氏物語の平安期、「こ」は盛んに使われたそうで、「定子」や「彰子」等という天皇家の名前が有名どころです。
 天皇家は、日本のグローバルスタンダード(=一般的な標準となる考え)、もしくはベーシック(=基礎)ですから、こうした風習は、すぐに広まったことでしょう。
 しかし、苗字帯刀は、特権階級の慣習でしたから、これが爆発的に広まるためには、やはりチョンマゲを落とし、ザンギリ頭を叩く必要があったのでしょう。一般庶民にも苗字が許されると同時に、グローバルスタンダードにしてベーシックが幅を利かせ、一気に「子」と言う名の女性が出回ります。

 この風潮は長く続き、終戦まで、女性の名は「子」の圧倒的オンパレードだそうです。  そして、ギブミーチョコのアメリカ民主主義の影響か、初めて「子」がばらけ、さやかとか明美とか、「子」ではなくて「江」「恵」「美」「代」など、非常にバライティーに富んだ名前の時代がきます。
 今は、もう、「セーラ」と呼びたいがために、聖羅、なんて当て字で無理矢理読ませる名前もありますから、なんでもありですね。
乱気流さん疑問投稿者からのご推薦です。

<時期・理由>
 奈良時代以前には男女共用名としての接尾語「子」が存在したものが一度は廃れ、改めて奈良時代後期に上流社会では女性名としての接尾語「○子」に流行の兆しが芽生え、平安時代初期に嵯峨天皇(在位809−823)が内親王に「○子」型の名を付けた事が契機となって流行に拍車をかけ、平安時代中・後期に至ると上流社会では、通称名と候名【さぶらいな】を別にすれば、女性の公式の諱【いみな】(実名・名乗)は「○子」型に統一されたようです。それが末永く維持された後、明治30年代になって庶民の間で戸籍名とは別に私名としての「○子」が流行したようです。
 理由は定かでは有りませんが、男性名には遣われなくなった事と女性名の「○女」が一般化し過ぎたために伝統と独自性を考慮し、また当然「子」の字は子供を表し出産等も連想される事から、改めて女性名としての「○子」に魅力が見い出され流行の兆しの中、嵯峨天皇が流行を増幅した結果、律・令・格・式の全てが整ったとされる平安時代の上流社会で公式の女性の諱が「○子」に統一されるに至ったってことではないでしょうか。

<歴史>
 奈良時代以前の人名には接尾語として「彦【ひこ】、比売【ひめ】、姫、媛、郎子【いらつこ】、郎女【いらつめ】、足【たり】、比登【ひと】、女【め】、戸弁【とべ】、麻呂【まろ】、雄【お】、男、(男女ともに)子・君」等が名に付される例が多く有りましたが、奈良時代になると男性名では接尾語の「彦、郎子、(男性名としての)子」等は消え又は廃れ「麻呂【まろ】」が優位を占めました。

 女性名では接尾語の「郎女」は劣勢となり「戸弁、姫、君」が消失して「女(売)【め】」が圧倒的優位を占めるようになって、接尾語は「女」に統一される形勢となりましたが、上流社会では故意に「女」字を省略した「袁比良【おひら】、諸姉【もろね】、笠目、多理、広虫」等の女性名が見られ、奈良時代末には「宮子、弟兄子【おとえこ】、若子」等の「子」字が女性名の接尾語に採用される気運が生じたようです。

 平安時代になって、嵯峨天皇(生没786−842・在位809−823)は親王や内親王の名に乳母の氏の名を採る慣例を止め、親王には2個の佳字を、内親王には「○子」型を賜り、上昇気運にあった「○子」型の女性名の流行に拍車が加わりましたが、庶民の間では「○女」型の女性名が依然として圧倒的でした。平安時代中・後期の上流社会では、女性の諱【いみな】(実名・名乗)は、「○子」型に統一されましたが、これは裳着・宮仕え・叙位に際して命名されるのが常であって、女性の通称には「大い君、中の君、三の君(庶民の場合は、姉子、中【なかんの】子、三【さんの】子)」があり、「○氏女【うじのによ】」が広く用いられたようです。

 平安中期から内裏・院宮・貴紳に仕える女性達は「大納言・中納言・中将・少将・少納言・式部・伊勢」等の候名【さぶらいな】で呼ばれるようになり、また平安後期には、「千寿女、万寿女、愛寿女、延寿女、福寿女」のような佳名型の通称(時によって実名)が多く見られ、後の「セン、マン、アイ、エン、フク」の名。

 鎌倉・室町時代でも上流社会の女性名は、公式には「○子」型の諱(実名・名乗)でしたが、叙位・任官の場合を除く日常生活では通称が用いられ、鎌倉期には「薬師女、千手女、如来女、伊王女、夜沙女、袈裟女」等の仏教的な名も多く見られましたが、室町期に至って「千代女、若鶴女、松女」等の旧型も残るものの「阿茶、阿茶々、ちやち、あかか、あこ、とら、かめ、わか、いち」等の新しい名が見られ、貴族・庶民の別なく通称には「女」字の脱落と仮名書き化が相当進んだようです。
 安土桃山時代には「女」字の脱落と仮名書き化が益々進行しましたが、豊臣秀吉の正妻「木下ねね」は、その名では叙位対象にならないとされる事から、公式の名を「平朝臣【たいらのあそん】寧子」と定めて従一位に叙されたのでした。続いて江戸時代の庶民の女性名は「はつ、せん、せい、かめ、とら」等大部分が2文字で、これらはしばしば接頭語に「御【お】」を付けて呼ばれたようです。

 明治・大正時代の女性名の多くは、江戸時代風の仮名2文字でしたが、公家・華族の「○子」型の名が明治30年代から非常な勢いで普及し、それとともに公家・華族の女性の名の漢字を用いた名が流行しました。特別な場合以外には戸籍名の変更が認められなかったため、男女共に私名を用いる傾向が生じ、「与謝野しよう」は私名を「晶」と書き筆名は「晶子」と称しました。仮名2文字の名を漢字の「○子」型の私名とした女性は夥しい数に及んだそうですが、1945(昭和20)年をピークとして減少し始め、大正時代に流行した「○代」型の名も廃れたようです。
情報源:『世界大百科事典(平凡社)』
 
Tsuneさん

 大辞林によると、女性の名に付けて、それが女子であることを表す。平安時代以降、明治の頃までは身分の高い女性の名に用いた。「花—」「春—」  ということで、昔は身分の高い名前だったんですね。ところで、うちの母親も「○子」です。昭和二桁初期の生まれです。その後、女の子の名前には、一時、「○美」をつけるのがはやっていますね。私の妹もご多分に漏れず「○美」です。
 でも最近は一文字や、発音の響きを重視したり、国際的に通用できるような発音にしたりと、結構変わってきていますね。
ぶひぃーさん

 古くは平安初期からあります。「薬子の乱」の藤原薬子は確かに女性ですから、この時には○子という名前があったと思われます。でも今のように「○こ」と読んでいたかどうかはわかりません。
 実際、今の定説では道長の時代は「○し」と呼ぶのが普通です。(道長の奥さんは倫子-りんし-といいます。) 始まりということですが、理由はわかりません。昔は高貴な人をじかに名前で呼ぶのは失礼なことだったので、ほとんど名前で呼ぶことはなかったのです。ですから、役所とかに官位の申請をするときとかに、何かゆかりのある人(父親とか乳母とか)の子どもということで「○子」としたのでがはじまりではないでしょうか。
超な兄貴さん

 小野妹子や聖徳太子のように昔は男性を象徴する名前だったのですが, いつしか,推古天皇が,自分は「古」だけど,同じ「こ」なら「子」のほうがいい と駄々をこねたことに始まります, それ以来,天皇家ではそうなり,現在も続くのです。
チョガタさんからの感想メールです。

 この答えを見て良くわかったんですけど、天皇家は日本文化の発信基地と保存するための大事な役目をする存在なんだとつくづく思いました。
  
 あれほど一般的だった「子」がそんなに高貴なものだったなんて..以外でした。でも、読み方は「シ」が一般的だったようですね。さすれば、現代でも「シ」と呼ぶように付けてもいいのかな?サチシ? う〜ん呼びにくい...
正答者の方々です。本当にありがとうございました。
のんきさん・そくらちゃん・乱気流さん・乱気流さん・乱気流さん・Tsuneさん・ぶひぃーさん・ガウリィさん・超な兄貴さん★

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